『あなたへ』人を愛するということは、支配することじゃない

自由に

「私を縛るのは、本当に“愛”だったのか?」
そう問いかけながら、私ははじめて気づきました。
愛ではなく、支配がそこにあったと。

~60歳の私がたどり着いた、心からの願い~

誰かを心から大切に思うなら、自由を奪ってはいけない。
束縛や支配の中に「愛」は育ちません。

これは、長い年月を経てやっと気づいた私の、本当の気持ちです。
同じように苦しんでいる誰かに届いてほしくて、いま、言葉にします。


目次

  1. 愛と束縛を、私は勘違いしていた
  2. はじめは遠慮があった夫との関係
  3. 少しずつ深まる支配とコントロール
  4. 「妻だから我慢するべき」ではなかった
  5. 私が夫を甘やかしすぎた?それとも…
  6. 心も身体も支配された日々を越えて
  7. 愛とは、自由を尊重すること
  8. 今、苦しんでいるあなたへ

愛と束縛を、私は勘違いしていた

「あなたのことが心配だから」
「家族だから当然だろう」

そんな言葉で、私の自由は少しずつ奪われていきました。
当時は、それを「愛されている証拠」だと思い込んでいたのです。
でも今は、はっきりと言えます。

愛とは、相手の人生を尊重すること。
相手のすべてを支配し、コントロールしようとするのは、愛ではありません。


はじめは遠慮があった夫との関係

私たち夫婦の関係も、最初から悪かったわけではありません。
結婚当初はお互いに遠慮や思いやりもありました。

でも時が経つにつれ、夫は少しずつ変わっていきました。
私が何かをするたび、「それはダメ」「聞いてない」「許可したか?」
——そんな言葉が増えていき、私は自分の意志で動けなくなっていきました。


少しずつ深まる支配とコントロール

気づけば、日常のすべてが夫の支配下にありました。

買い物、外出、友人との交流、すべてに「確認」が必要。
「勝手なことをするな」と叱られ、「言うことを聞かないなら出ていけ」と怒鳴られる。

一見、家族を思っているように見える言動が、
実は私の自由を縛る鎖になっていたのです。


「妻だから我慢するべき」ではなかった

一番つらかったのは、私の心や身体の拒絶すら、無視されたこと。
夜の時間も、私の気持ちは尊重されず、ただ“応じる”だけの存在に。

「妻なら当然だろう」と言われるたび、心がどんどん壊れていきました。
でも私は、「妻だから」「母だから」我慢しなきゃと自分を責めていたのです。


私が夫を甘やかしすぎた?それとも…

今でも時々思います。
私が夫を「駄目夫」に育ててしまったのだろうか。
嫌なことも黙って受け入れていたから、彼は変わらなかったのかもしれない。

でも、誰かを支配することは「性格」ではなく「選択」です。
それを止めるのは、被害を受けている側の責任ではありません。


心も身体も支配された日々を越えて

そんな日々の果てに、夫は病を患い、数年の闘病の末に亡くなりました。
長い看病の中で、私の心はさらに複雑に揺れました。
「私の人生って、何だったのだろう」と自問する日々でした。

でも、過去がどんなに苦しくても、
今からの人生をどう生きるかは、私の自由です。


愛とは、自由を尊重すること

心からそう思います。

本当の愛は、相手の夢や好奇心を応援できること。
疑うよりも、信じること。
縛るよりも、自由を与えること。

私がもし、誰かを本当に愛するなら、
「好きにしていいよ」と言える自分でいたいと思っています。


今、苦しんでいるあなたへ

この記事を読んでくださっている方の中には、
もしかすると、今まさに苦しい関係の中にいる方もいるかもしれません。

自分を責めないでください。
あなたの感じている違和感や苦しみは、きっと本物です。
そして、それを「なかったこと」にしなくてもいいのです。

愛は、恐れや支配の中には育ちません。
愛されていないと感じるのなら、あなたの心の声を信じてください。

私は今、60歳を過ぎてあらためて「自分を大切にする」ことの意味を学び直しています。
これまで長い時間を人のために生きてきました。
でも、遅すぎることなんてないと、今は思えるようになりました。

これからは、自分の心が喜ぶことを選びながら、
毎日をていねいに、楽しく、充実させていきたいと思っています。
本当の人生は、ここから始まるのかもしれません。

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