目次
- あの夜、私は涙も流れなかった
- 誰にも頼らず、すべてを終わらせた
- 「お見合い」という希望と失望
- そして出会った“私だけの居場所”
- 今、同じように悩むあなたへ
本文
1. あの夜、私は涙も流れなかった
あの夜──主人を見送った夜。
涙は、不思議と出ませんでした。
何年も続いた介護生活。身を粉にして、毎日をこなし、心も身体も限界に近かった私は、「やっと終わった…」という安堵と、「これからどうしよう」という空虚感の中にいました。
介護を終えたあとの私に待っていたのは、お通夜・お葬式の準備、そして日本独特の“形式的な文化”に対する違和感でした。どれも「ちゃんとやらなきゃ」と思う反面、心はまったく追いつかず、それでも気を張って動き続ける毎日。
そんな中、亡き夫の母からは「うちのお墓に入れなさい」と言われました。
でも、その方は主人の介護を一切手伝うことなく、ただ距離を置くだけでした。
それなのに「家族の一員としてこうしなさい」と言われることに、心のどこかで納得できませんでした。
2. 誰にも頼らず、すべてを終わらせた
私は決めました。「この一家とはもう関わらない」と。
毒母、毒父、毒兄。誰も介護に手を貸してくれなかった。
心から頼りたかったけど、無理だった。だからこそ、私は自分の意思で家族の縁を切り、夫の見送りをひとつひとつ、私と子供たちの力だけで進めました。
お通夜、葬儀、一周忌──そしてお寺・お墓探し。
誰の力も借りず、子供と相談しながら、全てを終わらせました。
そんな私に対して、葬儀が終わったその夜、毒兄から言われたのは「いくらかかった?」という無神経なひと言。
明細を見せても、反応もなく、ただそのまま帰っていった姿が今でも忘れられません。
あまりにも虚しい時間の連続。
けれどその後、訪問者が次々に来てくれました。
来れなかった方々が線香をあげに来てくれ、お香の香りがしばらく家の中に残り続けました。
時間が経ち、一ヶ月、二ヶ月…。
何かが身体から抜けるように感じました。
今まで気が張っていた分、空っぽになってしまったのです。
目標も、目的も、何も見つけられず、ただ会社に出社しては時間が過ぎていくだけ。
そんなときふと思いました。
「誰か、話し相手がいたらいいな」
3. 「お見合い」という希望と失望
そんなとき、娘にお見合いの話をしてみたのです。
「いいじゃない、お母さんが誰かと話したりできたら、私も安心する」と娘は言ってくれました。
そして私は、お見合いをすることにしました。
──でも、それは理想とは大きく違っていました。
60代で出会う男性たちは、恋愛や心の支えを求めるというよりも、「身の回りのお世話」をしてほしいという人ばかり。
私はもう、誰かの“お世話係”には戻りたくない。
長年の介護生活からようやく解放された私には、それが苦痛にしか感じられませんでした。
「え?そんなことで人を求めているの?」
「女性=世話係って、いつの時代の話?」
落胆と失望が続き、私は再び孤独に戻っていきました。
4. そして出会った“私だけの居場所”
そんなある日、何気なく見た地域の情報誌に「手芸サークル」の募集がありました。
ミシンやハンドメイドに興味があった私は、勇気を出して参加してみることに。
それが、私の人生を変えるきっかけとなりました。
手を動かし、作品を作り、みんなで笑い合いながら過ごす時間。
その中で自然と「自分のためにお金を使う」ことにも、躊躇がなくなってきました。
生地を買うのも、ミシンを買うのも、自分の人生を楽しむため。
誰かのためじゃない、「私のための投資」なんだと気づけたのです。
今では、毎日がとても楽しい。
サークルの仲間との時間、作品作りの充実感、販売への挑戦。
少しずつ、自分の世界が広がっていくのを感じます。
5. 今、同じように悩むあなたへ
もし今、あなたが孤独の中にいたら──
家族のサポートが得られず、何もかも自分ひとりで背負っていたら──
「それでも大丈夫」と伝えたいです。
人は、何歳からでも変われます。
誰にも頼れなくても、もう誰かをお世話しなくても、自分の人生を取り戻せるんです。
私が初めて“自分のためにお金を使った日”──それは、人生の再出発のスタートでした。
あなたにも、必ずその日がやってきます。
少しだけ、勇気を出して。
あなたの「好き」を、大切にしてくださいね。
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