目次
はじめに
それは、すさまじく、苦しく、そして長い5年間でした。
すべては、夫が「ステージ3の癌」と告知された日から始まりました。
夫の目線から──闘病生活
夫はこの5年間で、4度もの手術を受けました。
切っても切っても癌は再発し、手術のたびに身体は削られていく――
その痛みに、どれほど耐えてきたことでしょう。
夫は痛みに強い人でした。
それでも、弱音を吐かず、こう言っていました。
「ベッドの上で寝てるだけでもいい。子どもの成長を見ていたい」と。
妻の目線から──介護と生活の現実
夫が働けなくなったとき、我が家の暮らしは一変しました。
それまで夫が支えてくれていた家計は、私のパート収入だけでは到底まかないきれず、昼の仕事に加えて夜はアルバイトにも出るようになりました。
毎月の治療費は、高額療養費制度を利用しても10万円以上かかりました。
そこに生活費も加わると、私一人の収入ではとても追いつかない現実がありました。
家の中の空気はいつも重く、どんよりとしていました。
癌という病があるだけで、笑うこともテレビを見ることさえもはばかられる雰囲気。
「元気に振る舞ってはいけない」と無言で強いられているような、そんな閉塞感が漂っていました。
だからこそ、夜のアルバイトは、ただの仕事ではありませんでした。
壮絶な介護から解き放たれる、私にとっての唯一の逃げ場所だったのです。
それでも、家に帰れば休む間もなく、心も身体も疲れ果てていました。
私は、ずっと働きづめでした。
「傷病手当金を申請して」と夫に伝えても、彼は聞こうとしませんでした。
どんなに苦しくても、助けになる制度の話をしても拒絶され――
その頑なな態度には、どこかモラルハラスメントのようなものすら感じてしまいました。
――夫には夫の苦しみがあった。
それは理解しているつもりです。
でも、私の苦しみだって、消えることはありませんでした。
痛みは共有できない
立場が違えば、見えるものも、背負うものも違います。
私も夫も、それぞれに辛さがありました。
でも――
癌の痛みだけは、共有できません。
癌の痛みは、想像を絶するほど壮絶だと聞きます。
もし私が、癌と告知されたなら――
切っても切っても再発するその痛みに耐えるより、
私は、穏やかな最期を選びたい。
できるだけ早い段階で緩和ケア病棟へ入り、
痛みを和らげながら、静かに最期を迎えたいと願っています。
男性の本音と、女性の現実
最近、ある男性がこう言っていました。
「もし癌になったら、怖いから、家族にずっとそばにいてもらって、家で最後を迎えたい」と。
その言葉に、私は思わず考え込んでしまいました。
なぜ、それほどまでに“自分本位”なのだろうかと。
家で最期を看取ることの大変さを、どれほどの人が想像できるのでしょう。
働いている妻にとって、それは並大抵のことではありません。
現実には、病人をひとり残して仕事へ出かけなければならず、
私は毎日、家に帰るのが怖くて仕方ありませんでした。
「今日、帰ったら…もし夫がもう亡くなっていたらどうしよう」
その恐怖と隣り合わせで、日々を生きていたのです。
告知から最期まで──それぞれの戦い方
癌の告知を受けた本人も、その家族も――
それぞれに異なる形で闘い、苦しみを抱えて生きています。
自宅での介護がどれほど過酷で、精神的にも追い詰められるか。
そして、看取りとはどういうものか。
その現実を、私は自分の経験から伝えたいのです。
おわりに
この5年間は、夫の命と向き合い続けた日々でした。
そして、妻として、母として、ひとりの人間として、何度も限界を感じました。
でも、この経験を通して気づいたことがあります。
命の終わり方は、人生の生き方を問うことなのだと。
読んでくださったあなたが、どんな状況であっても、
心が少しでも軽くなりますように。
そして、大切な人と過ごす時間の意味を、もう一度考えていただけたら幸いです。

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