目次
- はじめに──大阪万博への思い
- 行きたい気持ちと「行かねばならない」気持ちの違い
- 私にとっての「旅」とは?
- 行かなくてもよかった体験と、その価値
- 夫の介護を終えて始まった私の第二の人生
- 60代からこそ「体験」を大切にしたい理由
- 大阪万博という一度きりの機会
- ホテル探しというもうひとつの大仕事
- 終わりに──行って後悔するより、行かなくて後悔しないために
1. はじめに──大阪万博への思い
大阪万博に行こうかどうか、今ずっと考えています。
もう生きている間には体験できないかもしれない一大イベント。だからこそ、今このタイミングで「行ってみたい」と思う気持ちが芽生えているのです。
ただ、それと同時に「本当に行きたいのか?」「行かなければ損をするのではないか?」という相反する気持ちも心の中にあります。旅というものは、ただの観光や娯楽以上に、心を動かし人生を考えさせてくれる不思議な存在ですね。
2. 行きたい気持ちと「行かねばならない」気持ちの違い
「行きたい!」と心から思って動くときと、「今行かないと後悔する」と感じて動くときは、似ているようで全然違います。
本当に心から行きたい場所って、私にはあまりなかったように思います。むしろ、フェスやイベント、目的のある買い物や体験、人に会うための旅が多かったのです。
でも今回の大阪万博は違います。人生で一度きりの特別な機会。「行かないと体験できない」という気持ちが、私の背中を押しています。
3. 私にとっての「旅」とは?
旅の魅力は「非日常」にあると感じます。
毎日のルーチンから離れ、仕事のことも忘れられる。仕事仲間からの連絡や責任からも少し解放される。違う時間の流れの中に身を置くと、自分が少しだけ「上級者」になったような気持ちになるのです。
先日も東京のフェスに行きました。とても実りある体験ができ、友人とも楽しい時間を過ごしました。そのついでにスカイツリーの展望台にも上りましたが、正直「これは行かなくても良かったな」と思いました。
でも、その体験すらも大切なのです。行ったからこそ「行かなくてもよかった」と言える。これもまた旅の一部であり、人生の一部なのだと感じています。
4. 行かなくてもよかった体験と、その価値
人によっては「こんな思いをするくらいなら、行かなければよかった」と愚痴をこぼすこともあるでしょう。けれど私は少し違います。
「行かなければよかった」と思う経験ですら、行ったからこそ言えること。もし行っていなければ、その気持ちすら生まれないのです。
結局、すべては「体験してみた」ことに意味がある。そう思うと、無駄に感じる出来事も宝物のように思えてきます。
5. 夫の介護を終えて始まった私の第二の人生
私は夫を見送りました。死にゆく夫を介護し、看取った経験があります。あの時間があったからこそ、今の私があります。
介護の間は自分の時間を持つことも難しく、旅行や自由な体験はほとんどできませんでした。だからこそ、60歳を過ぎて「これからは体験していこう」と強く思うのです。
多少お金がかかってもいい。無駄に見えるようなことでも構わない。人生は限られているのだから、残された時間でできる限り多くの経験をしたい。
6. 60代からこそ「体験」を大切にしたい理由
人はいつか死にます。それは避けられない事実です。
だからこそ、私は「行かないで後悔するよりも、行って後悔したほうがいい」と思うようになりました。
60代は、若いときより体力は落ちています。けれど、知識も経験も積んでいるからこそ「体験の意味」をより深く理解できる年代でもあります。今この瞬間にしかできないことを積み重ねていくことが、私にとっての豊かな人生につながっているのです。
7. 大阪万博という一度きりの機会
大阪万博は、まさにその「今しかできない体験」です。
「もう一度行きたい!」と思えるのか、「一度で十分」と思うのか。それは行ってみなければ分かりません。でも、その答えを知るためにも私は行きたいのです。
8. ホテル探しというもうひとつの大仕事
ただ、万博に行く準備は思った以上に大変です。
特にホテル探し。なかなか空きが見つからず、疲れた目で画面をにらみながら検索を繰り返す日々です。「もう寝たいな…」と思いながらも、条件に合う宿を探し続ける。これもまた旅の一部ですね。
9. 終わりに──行って後悔するより、行かなくて後悔しないために
私は60代。けれど、まだまだ悪くないと思っています。
知らないことを知り、体験したことのないことに挑戦し続けたい。多少の無駄も気にせず、人生を楽しんでいきたい。
大阪万博に行くことも、きっとそのひとつの大切な経験になるでしょう。
「行かないで後悔するより、行って後悔する人生」の方が、ずっと豊かだと私は信じています。
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