「60歳はおばあちゃん」だと思っていた私が、まだまだ生きていくと決めるまで
目次
- はじめに:60歳は“最後の人生”だと思っていた
- 60代になって見えた現実と、心のズレ
- 仕事で感じる孤独と「生きた岩石」みたいな感覚
- 毎日の家事が、こんなにも幸せだと思える日が来るとは
- 息子との時間が教えてくれた「役に立てる喜び」
- いずれ訪れる“ひとりの暮らし”の不安
- 小さな部屋で暮らす未来を思い描くけれど
- ハンドメイドが私を救う理由
- 60代のみんなと話したい。人生はまだ続くから
- おわりに:私は、これからも生きていきます
1. はじめに:60歳は“最後の人生”だと思っていた
正直に言えば、私は長い間「60代はもうおばあちゃん。人生の最終章に入るんだろう」と思っていました。
ところが実際に60歳になってみると、驚くほど“普通に”動けるし、興味もあるし、これからまだ20年は生きるかもしれない。
その現実を前にして初めて、「このままでは楽しくない。何か、生きがいが必要だ」と強く感じるようになりました。
2. 60代になって見えた現実と、心のズレ
若い頃は、60代の人たちがとても大人で、悟りの境地にいるように見えていました。
しかし自分がその年齢になってわかったのは、「気持ちはそんなに変わらない」ということ。
ただ、体力の変化や友人関係・家族関係の変化によって、心が揺れる場面が増え、以前よりも“自分と向き合う時間”が長くなりました。
3. 仕事で感じる孤独と「生きた岩石」みたいな感覚
仕事に行っても、後輩が困ったときにだけ声をかけてくる。
普段はまるで“そこにあるけど動かない存在”みたいで、
自分でも「山椒魚のような、生きた岩石みたいだ」と感じてしまう瞬間があります。
人から頼られること、必要とされることが、生きがいにつながっていたんだと気づいたのは、この年齢になってからでした。
4. 毎日の家事が、こんなにも幸せだと思える日が来るとは
昔は、
「ご飯づくり、掃除、洗濯…なんでこんなにバタバタしなきゃいけないの?」
と、心の中で何度も愚痴をこぼしていました。
でも今なら、あの頃の自分にこう言ってあげたいのです。
「忙しい時間こそが、実は幸せなんだよ。」
歳を重ねたいま、その意味がようやく理解できます。
5. 息子との時間が教えてくれた「役に立てる喜び」
今は一人息子と同居しているので、
ご飯を作り、一緒に食べ、掃除や洗濯をする。
そのありふれた日常が、想像以上に私を支えてくれています。
“誰かのために動ける”というのは、本当に尊いことです。
自分の存在価値を、静かに、でも確かに感じられます。
6. いずれ訪れる“ひとりの暮らし”の不安
でも、心のどこかではわかっています。
息子はいつか巣立ち、私はこの大きな家に一人で暮らすようになるかもしれません。
広すぎる部屋。静かすぎる時間。
それを思うだけで、不安が胸に広がります。
「本当に私は一人で生きていけるのだろうか?」
そう自分に問いかけることもあります。
7. 小さな部屋で暮らす未来を思い描くけれど
歩いて病院や買い物、映画に行ける小さなアパートで身軽に暮らす――
そんな未来を想像することもあります。
しかし、そこには現実問題として“お金”がついてまわります。
移住の費用や生活費を考えると、夢は急に小さくなってしまう。
「やっぱり無理なのかな」と希望がしぼむ瞬間もあります。
8. ハンドメイドが私を救う理由
それでも、一人の時間を潤してくれるものが私にはあります。
それが ハンドメイド、ミシン。
60歳を過ぎてから始めた趣味なのに、まるでずっと探していた“心の避難場所”だったかのように、私を安心させてくれます。
手を動かしていると、
「私はまだ大丈夫。まだ楽しめる」
そんな小さな自信が生まれるのです。
9. 60代のみんなと話したい。人生はまだ続くから
同じように不安や希望を抱えながら生きている60代の人たちと、話してみたい。
「わかるよ」という言葉を交わせたら、どれほど心が軽くなるでしょう。
人生の後半に差しかかった私たちだけれど、
まだまだ語りたいことも、やりたいことも、山ほどあるはずです。
10. おわりに:私は、これからも生きていきます
未来がどうなるのかは、誰にも分かりません。
でも一つだけ確かなのは――
私はこれからも生きていきます。
小さな幸せを感じながら、手探りでも、前に進んでいきます。
そして、同じ60代のみなさんにも会いたいです。
一緒に笑いながら、生きていきたいです。


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